公序良俗とは公共の秩序と善良な風俗をさす(広辞苑から)
両耳にイヤホーンを、ハンドルに両肘をつき、携帯電話を操作しつつ、自転車を走らせる光景が街中を席捲する若者。
電車と言わずバスの車中お構いなしに携帯電話で碌でもない会話を交わす輩ども!・・・
下着も見えようかの超ミニスカートに背中の丸裸同然に切れ込んだ衣装を身に着け、大胆且つ誇張これ見よがしの舞台化粧よろしく簾の如き付け睫毛・・・大胆極まりない超ド級のメイクアップを施して衆人看視の中を闊歩するギャル族、彼女等の通り過ぎた跡に漂う残り香ならぬドギツイ香水の匂い!・・・
人はどこまで自我の満足を求め、強欲を満たそうとするのか?・・・
性犯罪・セクハラの三面記事を賑やかすのは、襲う男が単純にして節操の自覚も霍乱しての行動なのか? 挑発するギャルの輩に否があるのか?・・・
現世 もはや地に落ちたり・・・の感大の様相を呈している。
それら輩にも親が居るであろうに・・・ 親自身も瑣事を投げたのか?
輩自身が聴く耳持たぬが成せる狎れの果ての醜態か?
日本国は法治国家でありますぞ・・・! 民法もあれば刑事法も、いやもっと崇高な日本国憲法が立派にある国である。
法をないがしろにして大道を闊歩する事など言語道断であろう・・・
人として人間として世に生くるに在らば、貞節と良識・常識を逸脱した立ち居振舞いは厳として謹まねばならぬ事を弁えねばならない!
躾とは身を美しく見せる所作であり、何事も自由気侭・奔放は断じて謹まねば成らない。
言いふるされた諺に 「過ぎたるは及ばざるが如し」 「何事も腹八分目が肝要」 がある。
「他人の振り観て 我が振り直せ」・・・は、節度と調和を諭す古人の鉄槌ででもある。
2010年8月18日 大谷 誠
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