トップ
 投稿文
 メンバー
 チラシ
 月例会
 アルバム
 リンク
 
問い合わせ
  
  

  
      

《謝罪と寛容》

       

「今 何時ですか」と追い越しざまに聞かれて、「〇時〇〇分」と答えると、その男は黙って其の儘(まま)通り過ぎて行った。普通の常識を弁え(わきまえ)た人間なら「ありがとう」ぐらいの挨拶をして立ち去るであろう。
関西には元来「すいません」と相手に事前に理(ことわり)(世の中の道理)を述べる 大変簡潔であり且つ便利にして 万事に応用できる重宝な『理(ことわり)言葉』が有る。
それは、失敗したり、相手に迷惑をかけたりした時には一言でいいので、すぐに「謝罪」は言葉にしよう。時には相手が怒りでヒートアップする前に謝ってしまうと言う事も出来る。
それと謝罪は自分の尺度でするものではない。心や気持ちの針がマイナスに振った被害者に対しては相手の気持ちに立って謝罪するものである。「堪忍なぁ・ご免なぁ・スンマセン・悪いわるい etc」
そして謝罪を受けた側も誠意を感じ取れたら受け入れてあげよう。上手く言葉のキャッチボールをして「理解(リカイ)」しあえば「怒り(イカリ)」も静まるというものである。
「いいよぉ・ええでぇ・かまへん カマヘン」は寛容の呪い文だ。自分に優しくだけでなく、他人にも優しくしよう。コミュニケーションの上手な取り方、それは「心のキャッチボール」をもつて「人間関係」を再構築すれば、他人に助けられ、他人を助ける事も出来る。
歩道を歩く歩行者に、後方から自転車に乗った人間が「すいません、横を通ります」と声かけして、追い越しざまに「ありがとうございます」と感謝の言葉を耳にしたら、声掛けをされた方は「どうぞ どうぞ」と歩く道幅をやや避け(よけ)て通行幅を広げたものである。
双方が「WIN・WIN」の心地よい状況が生まれるのは、実に爽やか(さわやか)ではないか。
街中を歩く機会が多くあるが、進む人間と 来る人間が ごちゃ混ぜ状況で、兎に角 名々(めいめい)が自己中心的で、キャリーバックを引き乍ら歩く人は、凡そ(およそ)他人の迷惑など眼中に無い。
通行路の真ん中で立ち停まって知人と立ち話を平気で長々と交わす非常識人(概ね女性人が多く観られる)ありで、端(はし)に寄って会話をするとか、通行路の真ん中で立ち停まって携帯電話をする非常識人の配慮の無さは言語道断である。 自分さえよければ他はどうでもいい・・・の独り善がり(ひとりよがり)人種が何でここまで多く蔓延った(はびこった)のか、突き詰めれば必ず其の原因は探し出すことができるはずのものであると思える。
其の外にも、敬語を使えない若者、声の小さい店員さん、清算する時に「〇〇円から頂きます」と一本調子の応酬話法で笑顔を忘れてしまった店のレジ係、等々身の回りにはイラッと気に障る様々な問題が存在する。
「すいません」と聞くと「かめへん かめへん」の寛容の【なにわ『理(ことわり)言葉』】を以前の様に復活させねばならないのである。
そうなると、なにわの街に、人と人とのゆっくりと「間」のとれる「和み」が生まれて、生きていて、居心地の善い(よい)空間が再現される事は至極ではないか。

平成29年7月31日 大谷 誠  

 


  


 
 
 
Copyright 2017, Allrights Reserved.
ビジネスライブの会|事業サポートグループ