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《親の背中を見て子は育つ》

       

幼児を連れて買い物に来ている若い母親が、幼児を注視せずに、スマフォの画面に夢中になっている光景が日頃屡々〈しばしば〉遭遇する。
幼児は往々にして注意力散漫にして且つ好奇心旺盛なるが故に、急に自分の関心のある方向へ直行する本能が働く。
そこに危険がある事を世の若い母親はスマフォに熱中以前に、我が子にもっと手を引くなり、会話を投げかけるなり「かまう」事を第一義として欲しい。
画面とばかりのに「らめっこ」は、そんなに今その時に必要なものなのかしら・・・? と理解に苦しむ。
電車の中といわず、歩行中と言わず、あらゆる外出の場面に、片手に必需品の如く、其の文明の機器を手放さないのも、どうも理解しがたい『悪癖(あくへき)極まりない流行〈はやり〉』と言わざるを得ない
と憤る(いきどおる)のは筆者だけでは断じて無いだろう。
昭和年代に生まれ、義務教育を受け、育てられた筆者等は、固定電話が各家庭に架設された時の物珍しさと、昭和50年中半に「携帯電話〈レンガブロック状の黒色〉」を仕事に携帯していた個人事業主が持ち歩いたり、街頭を歩きながら声高に会話しているのを、羨望(せんぼう)の眼差しで指を咥〈くわ〉えていた頃の と は、現在の狂気スマフォ流行〈はやり〉のそれとは異質ででも有るが、現況の流行〈はやり〉は超が付く程の「狂気の沙汰」である。
一言でいえば、情が無い。ぬくもりが無い。個が隔絶(かくぜつ)し過剰に尊重され過ぎて、周囲〈世間〉とが遊離(ゆうり)され過ぎている由々しき風習が蔓延った〈はびこった〉状況が蔓延〈まんえん〉し過ぎている。『国家的に厳罰化法整備』の可及的速やかなる立法化が急がれる。
こんな状況下で育てられた子供達は『これが正常・これが普通・これが一番の規範』と大きく『誤った理解』で成長して行ってしまえば、末恐ろしい世の中になってしまわないだろうか? と 憂う。
事が起こってからでは…取り返しのつかない事になる事必定である。

親が子に、オーナーが社員や従業員に、経営者が組織構成役員に、それぞれが皆そのトップでありマネージャー・先輩諸氏の背中を見て、日々育っているのである事を、それぞれが十二分に肝に銘じて緊張感を持って、己の立ち居振る舞いを、鏡に映し、己が姿を「要チエック」を怠ってはならないのである。
世の中全てが「あまりにもかまわなさすぎる」ご時世の歪曲(わいきょく)に『親身になってお節介をやかなければ』とんでもない世の中が出来上がってしまう予兆は、既に通り過ぎた現実が今此処にある。

想えば昭和40年〜60年代の社会人華やかしい現役時代、ポケットベルを会社から携行する事を必須とされ、こと有る毎に呼び出しに翻弄(ほんろう)され、公衆電話を探し回り、10円玉の両替にあくせくし、テレフォンカードを何枚も名刺入れに挟んで持ち歩いて居た頃とは、浮世替わりしたもので、往時も『便利は不便』の言葉が夜な夜な愚痴こぼしの居酒屋のカウンターで「嘆き節」となってほろ苦い愚痴こぼしの会話が交錯したものである。
営業職やサービス業の世界にはこんな教訓があって、「従業員は、会社が自分を扱ったようにお客を扱う」の戒めがあり、これ等は今の時代背景の中でも十分に通用する教訓ででもある。
製造現場のラインの職種にあっても同じ様な教訓があって、「会社に扱われているように製品を作っている」の戒めがある。
そもそも日本人は、情厚き人種であり且つ情けを行動に出して、お互いがお互いを戒め合い、お互いを慈しむこころを持ち合わせている『人の間に立つ事を善』とした人種である。過ちを振り返り、善に正すに何の恥じらいがあろうか」気づいた時に歩み始めるに遅れ等思案の外である。

平成30年3月6日 大谷 誠  

 




 
 
 
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