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ご 意 見

      

私たち一人ひとりが航海しているこの人生の広漠とした大洋の中で、理性は羅針盤、情熱は疾風。


       
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 BL会 ネット広場 210914(火) 

■おはようございます。
■9月14日(火曜日)のネット広場です。

 

母のため 付けた手すりが いま頼り。

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たもりんのことわざ・名言・川柳

「私たち一人ひとりが航海しているこの人生の広漠とした大洋の中で、理性は羅針盤、情熱は疾風」

アレキサンダー・ポープ(英国の詩人)

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みんなのネット広場へ投稿

(大谷誠さん)
認知症と高齢からくるもの忘れの確認シート、近況三昧、高齢祝い言葉の三点を添付させて戴きます。
お手隙の時にご参考までに活用戴ければ幸甚に存じます。

《長寿の祝い「言葉」とお祝いの「色」》
60歳は還暦(かんれき)=赤色(誕生から122年の丸5回目の当り齢を数え赤子返りと祝った)
70歳は古希(こき)紫色(唐の詩人杜甫が「人生70、古希まれなり」と詠んだ)
77歳は喜寿(きじゅ)=紫色
(「喜」の崩し字は七を三つ書く事から「七十七」に似て喜寿と言う)
80歳は傘寿(さんじゅ)=金茶色
(「傘」の崩し字は中の人を省略して「八十」の様に書く事から傘寿と言う)
88歳は米寿(べいじゅ)=金茶色(「米」の字は分解すると「八十八」の様に見える事から米寿と言う)
90歳は寿(そつじゅ)=白色(「卒」の崩し字は九の下に十を書く事から卒寿と言う)
99歳は白寿(はくじゅ)=白色(「百」引く「一」は「白」なので、99歳を白寿と言う)
100歳は寿(ももじゅ)=白色(百を「もも」と読むところから百寿と言う、ひゃくじゅ、紀寿(きじゅ)ともいわれ、紀は一世紀を表すことから、長寿祝いの色は白)
百寿と言う他に「百賀(ももが)」(文字の表現通りめでたい・・・の意)や「紀寿(きじゅ)」(一世(いっせいき)「紀」のお祝い)とか「上寿(かみじゆ)」(最上の慶事としてお祝い)上寿は100歳、中寿は80歳、下寿は60歳という言い方から来ている。
長寿年代または年齢に応じて3つ区分する「三寿」のうち、最も若い(年齢の低い)年代を指す語。
三寿は「上寿」「中寿」および「下寿」から構成される。一般的には、「上寿」は100歳以上を、「中寿」は80歳から100歳までの年齢を、「下寿」は60歳から80歳までの年齢を指すとされる。
108歳は寿(ちゃじゅ)=茶の字を分解すると八十八、十、十となり、すべてを合わせると108になることに由来。
110歳は珍寿(ちんじゅ)・椿寿(ちんじゅ)=稀に見る長寿としてに由来。
111歳は寿(こうじゅ)=皇の字を分解すると白(99歳)、一、全て合わせると111になることに由来。

120歳は大還暦=2回目の還暦の還暦を迎えたことに由来。
※東洋医学の文献には、男は8の倍数・女は7の倍数年齢を数える齢廻り (節目年齢) には、体に変化を来たすので、日常生活面に其の早まり(きざし)があるかどうか・・・の注意が肝要である。

冠省
行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて 久しくとゞまることなし。 世の中にある人とすみかと、またかくの如し。 「方丈記」鴨長明 から抜粋。
過日、「積ん読」の書籍の中から無作為に取り出した一冊の冒頭部分に、妙に今の己と、今までの己自身の時の流れを照らし合わせて、且つ、己の生い立ちを含め、つくづくと感じ入る部分が滲み湧き出してきて、ひとは皆こんな風にして時を重ね 生き存(いきながら)えて、遂には朽ち果てていくのでは・・・と
珍しく一寸おセンチな気分に為った次第。

毎朝5時15分前後から歩き始めて20分、折り返し点と定めている鮎川公園入り口で入場挨拶(公園管理人が常駐しているわけで無く)無人乍ら、「宜しくお願いします」の黙礼で入場。公園中央部分の藤棚近辺で首の4種類の運動から始めてラジオ体操第一の次に、石のベンチ椅子に右片足を預けて大きく体重をかけて屈伸を20回、左足も同じく20回、次には両手を前方に押し出す様に屈み込むスクワット(椅子に腰掛けるようにお尻を後ろに突き出して屈み込む)を20回、次に左大腿部骨折による人工骨埋め込みを施術しているので、蟹の横歩きを左水平方向に80歩、この一連の体操らしきものが約15分、其れが終わると公園出口で大きく頭を垂れてお礼の一礼感謝の挨拶を終え、帰りは今来た方向とは逆方向に向きを変え歩行が摺り足にならぬように意識してももを上げ力強く歩いて帰宅。 傘を差さないと歩けない天候の時は「お休み」とするものの、一日の始まりは自称「朝練歩き」 凡そ6時過ぎには拙宅着。 
朝歩きを続けていると、同じように早朝散歩をされている、見ず知らずの行き交う方々から、爽やかな声で「おはようございます」のお声かけを頂戴する。中には挨拶するのも惜(お)しい・・・と思われるお方も何人か居られ、前段の爽やかな朝の挨拶を頂戴出来た事で、何事にも代えがたく、世の中色々・・・(島倉千代子の「人生いろいろ」の歌詞が思い起こされて)と ひとりでに頬が緩んでほくそ笑んで、早朝散歩の余録を得た心地すらする。

高齢70歳以上の年齢に為ると、一日に最低40分の運動を欠かさず続けることが必須・・・とリハビリテーション施設に張り紙があって、TVや活字媒体にも同じくその表現があったことから、2年前に愛仁会リハビリテーション病院の退院後から、一日の必須科目と定めて具体的行動に移したもので、運動量を継続しなければ筋肉衰退・血液循環・内臓消化機能低下による便秘に陥りやすい・・・と記述もあり、産婦人科診療科目以外の診療各科目(少なくとも全科目を診療対象に接している己が自慢する訳では無いが)各担当医に問答を交わすと異口同音に「動かないと寝たきり老人に為ってしまいますよ、そうなれば困るのは自分が一番困るのですから・・・」加えて必ず言って良いほど どのDr.も「三度の食事は現況の六分目にして、贅肉を付けないように節制してください」の弁。その次は必ず「酒はビール小瓶1本・焼酎や日本酒は1合までを自覚節制をこころがけ、煙草は百害あって一利なし 平均寿命まで長生きしたければ 休肝日を週に二度は作って肝臓を労ってやってください」と宣う。
因み(ちなみ)に己の有り様は、仏滅の日は禁酒と定め(愚妻との取り決めの中で・・・)、煙草は一日15本以内に・・・(10月からまたぞろ煙草単価一箱あたり現状500円が560円に値上げされる)愚妻曰く、間接喫煙の見地から居宅内全面禁煙全面禁煙発令、喫煙時は室外にて・・・因って即刻ホタル族となる。
何度も何度も禁煙に挑戦は試みるが、意志薄弱の在り姿から挫折 今日に至る。
お酒の量はウイスキーグラスに氷を満たして八分目迄オールドを注ぎ、後の二割を冷水を注ぎ込み、それをTVを観もって60分をチビリチビリ、仏滅当日は呑める口があるのに呑めぬとは・・・身もだえするほどに寂しく辛い厄日と為る今日この頃で在る。 

コロナ禍・・・の大流行と言う事だけでも有りませんが、最近市バスによらず私鉄に因(よ)らず、いわんやJR等も久しく乗っていない事に、単に出不精に為ったわけでも無いのですが、それだけ行動範囲が極端に小さくなった事を ふと思いました。 日々の買い物は今年で24年ものの日産セフィーロが機嫌良く走ってくれているので、必要最小限の生活移動は大助かりであるものの、2年前の3月の愚拙が転倒骨折以来、門真に住まいする今年84歳の元給食パン経営の方宅へ毎週水曜日に、茨木の千提寺にお住まいの同志社OBで 元高校の英語の先生 今年70歳も3年前に脳梗塞で倒れられて以来これもパソコンのお役立ち出張授業も中断。 前者の方とは北海道の宗谷岬から日本全国津々浦々まで走り回り、沖縄本島以外は走らぬ都道府県は皆無で、鹿児島の開聞岳・指宿温泉までほぼ日本全国を軽自動車のワンボックスで走破して大いに鋭気を養ったときのことを思い起こせば嘘の様な日々に為ってしったことは、実に残念至極であります。

 徒然(つれづれ)なるままに
夜中に何度も小用を足しに起きる煩わしさからの、老いの悩みの解消方の実証
遠い昔(昭和30年当時)に、愚拙の実の祖母が、我が家の家事手伝いで、千林の長屋の台所から、炊事仕事を中断して、小水(しょうすい)を我慢していたのであろう・・・?と(後(あと)に為(な)って解った(わかった)事ながら、小走りの跡に、ポタポタと、我慢(がまん)の限界を越えたのであろう・・・?と、お小水と思われる跡が・・・)小走りで、一番奥に位置する厠(かわや)へ向かって駆け込む(かけこむ)間中(あいだじゅう)「ほい、ほい、ほい・・・」と自分を急か(せか)せているかの様に、号令をかけて、厠へ走り込む様子を側(はた)で観(み)ていて、年寄りは「何でそんなに我慢のギリギリまで・・・もっと余裕を持って用(よう)を足(た)しに行けばええのになぁ(大阪弁)・・・」と不思議に思った事が有る。
今 己(おのれ)自身が、全く同じ様な有り様(ありよう)に直面して、泌尿器科の医者が曰く「年寄りに為ってくれば、膀胱(ぼうこう)も括約筋(かつやくきん)も全てが老化現象の表れで柔軟性(じゅうなんせい)を失い、自律神経(じりつしんけい)の反応も鈍感(どんかん)になり、俗(ぞく)に言う「ゆるみ」現象が日常生活の中にでも結果現象として頻繁(ひんぱん)に現れてくるのは致し方の無い事で「排尿の勢いも極度(きょくど)に落ちて、其れが尿漏(にょうも)れ(日常生活の中ででも急に立ち上がろう・・・としたり、とか 屈ん(かがん)で地面に在るゴミひとつを拾い(ひろい)上げようとした瞬間(しゅんかん)に尿漏れ・・・が結果現象として現れてくるのは至極(しごく)当然の事。薬で止める事も出来るが、今度は副作用が出て、便秘(べんぴ)現象が現れてくる。一番簡単な方法としては、尿漏れパットを着けるか、大人のパンツを穿(は)くか・・・が手っ取り早い方法・・・。と宣う(のたまう)。 そんな こんなで、前立腺全摘手術以降(平成17年3月12日)一日24時間中、尿漏れパットは、入浴時以外は必需品(ひつじゅひん)に為っている次第(しだい)。 故人(こじん)曰く(いわく)「子供叱る(しかる)な 吾(われ)来た道 老人笑うな 吾行く道」 輪廻転生(りんねてんしょう) 因果応報(いんがおうほう)とはよく言い得た諺(ことわざ)である。 今年初めから思いつきで、今までは簡易ベットの枕の位置を南向きに据えていたものを、真逆(まぎゃく)の北向きに変えて観た。
そもそもの発想(はっそう)は、奈良の薬師寺旧管主(かんす)の講話の中に「私は日本全国あちらこちらから講話のご依頼を受けて、前泊でお邪魔する機会が再々(たびたび)ございますが、泊めて戴いた旅館(ホテルの場合はベツトを移動が固定式で在る為 させるわけにも参りませんので)の布団が概ね(おおむね)北向きに敷(ひ)いて戴いているのは、まずございませんで、世話をやいて戴く担当の方に、その都度(つど)『北の方角はどちらですか・・・』と訊ね(たずね)て、其の位置が少々斜め(ななめ)に為っていても、自分で布団の位置を強いて(しいて)『北向き』に位置をずらして、そこへ寝(やす)ませて戴くことにしております。それはこだわりがありまして、お釈迦様は永眠(えいみん)なさいます時に、弟子に敢え(あ)て北向きを所望(しょもう)なさって永眠されました・・・と聴き(きき)及んでおります。 
「北枕」とは日本で古くから縁起(えんぎ)が悪いとされ、親や祖父母からやめなさいと理由もなく言われた記憶もある一種の風習です。しかし、北枕がなぜ良くないとされるのかその理由や由来(ゆらい)を紐(ひも)解くと、実は北枕は悪いものではありません。北枕が良くないとされる理由の最も有力な説は、「葬儀の際、死者の頭を北に向けることから、死者と同じように寝るのは縁起が悪い」とした「迷信・慣習(かんしゅう)」からのもので、日本では仏式での葬儀が多いですが、この仏教において死者の頭は北向きが良いとされます。北枕の縁起の由来はお釈迦様の入滅(にゅうめつ)(涅槃(ねはん))の姿 北枕とは、お釈迦様の入滅(涅槃)の際の姿に由来し、お釈迦様のように北に頭を向けることで、「死後煩悩(ぼんのう)に付きまとわれず成仏(じょうぶつ)してもらう」という意味を込めているとされます。仏教用語の入滅や涅槃、煩悩という言葉が出てきてわかりにくくなりましたので、簡単に説明すると、仏教の教えにおいて、最終的なゴールは涅槃寂静という、欲に溺れ(おぼれ)ず、心が静まった状態になる事とされます。お釈迦様は亡くなられる(=入滅)前に、この欲から解放された穏やか(おだやか)な境地(きょうち)(=涅槃)に達していたのですが、死ぬことにより、肉体的な欲求や苦しみ(食欲や睡眠欲、病気等々)からも完全に開放されます。お釈迦様の死を「涅槃に入る(ねはんにいる)」や「入滅する(にゅうめつする)」と言いますが、お釈迦様が入滅されたとき、「北頭面西(右脇臥(わきが))」と言う、北に頭を向け、顔は西を向き、右脇を下にして腕枕をして獅子のような姿で横になられたと言われます。しかもこの姿は共に最後の旅をしていた弟子のアーナンダにわざわざ北に頭を向けて欲しいとお釈迦様の希望でなったものです。この様な理由から、高田好胤(こういん)さんは寝かせて戴く時には必ず其の姿勢位置をお釈迦様の「其れ」に習った・・・の講話を傾聴(けいちょう)しての愚拙も其れを真似た次第で、あながち 其ればかりでは無く、医学的にも医者の弁を借りると『頭寒足熱(ずかんそくねつ)』つまり、北向きに寝ることは足部分を南側にして寝ると血行が良くなり、体温も上がって「安眠度合い」が増す・・・と直(じか)に聴いたからで、現に、足の位置が南側にする以前は、夜中に小用に立つ度合いが5〜6回程度も催し(もよおし)ていたものが、北向きに寝るように為ると、何と2〜3度の回数に激減したのです。 これは実にありがたいことで、高田好胤(こういん)々様々・・・の実証で在ります。 睡眠が深く為るとこころが落ち着いてくる利点大。

だらだらと駄文を書き連ねましたが、何時になったら この流行病の終息がみえるのやら、暇つぶしがてらにご笑納戴けますれば幸甚に存じます。

二度の予防接種が終わっても 100%の罹患が安全・安心では無いとマス媒体で報じております事ゆえ
マスクと手洗いは励行徹底で 安全と安心の見極めが確認できるまではゆめゆめ油断大敵でご要心戴けますよう。 
  合 掌

■写真投稿
2021.09.13(宮本秀子さん)
奈良に彼岸花とコスモス撮影に行って来ました。

今はもう秋。季節のうつろいを感じる写真ですね。(森田康之)
彼岸花と秋桜今年は少し早く感じます。(宮本秀子)

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Have a nice day.
ビジネスライブの会事務局
森田 康之
<dudxu906@sakai.zaq.ne.jp>

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